民衆は声であった。
しかし、マス・メディアと大量流通の支配する我々の世界では、大衆は的であって、矢ではない。耳であって、声ではない。
大衆とは、他の人間が印刷物・写真・イメジ・音などの手段によって近づこうとする存在である。民衆は英雄を作り出したけれども、大衆は英雄を捜し、その声を聞くだけである。大衆は人から示され、語られるのを待っている。略
民衆は彼ら自身で作り上げた宇宙を持ち、巨人や小人、魔術師と魔女の住んでいる世界を持っていた。
大衆は全く違う疑似イベントの空想的世界に住んでいる。
大衆に配達される言葉やイメジは、有名人を作り出すその過程の中で有名人の魅力を失ってしまう。
『幻影の時代ーマスコミが製造する事実』ブーアスティン著
現代において英雄は消え去ってしまった。我々の意識のうちに住んでいる有名人は、少しも英雄ではなくて、人工的な新製品、我々の飽く事なき期待に応えて生まれたグラフィック革命の産物である。有名人が容易く作りだせるようになって、その数が増せば増すほど彼らは尊敬に値しなくなる